雑記

閭丘胤が拝礼したのは本当に文殊普賢?森鴎外の【寒山拾得】を考察

ふだんそんなに本を読まないのですが、ひっくり返って読書に夢中になっているわが子を見て、ひさしぶりに本を手にとってみました。

とはいえ読むのは毎回だいたい同じ。

古いのだと森鴎外、わりと新しいのだと古井由吉。

今回は大好きな森鴎外「寒山拾得」を読み返しました。

個人的な感想と考察を綴っていますので、よろしかったらご覧ください。

寒山拾得とは

「寒山拾得」は1916年(大正5年)に発表された森鴎外の小説です。

同じ年に有名な「高瀬舟」も発表されています。

「高瀬舟」は学校教科書にも載っているのでご存知の方も多いですよね。

「尊厳死」について語られていて、とても深く考えさせられる内容です。

いっぽうの「寒山拾得」はやさしい目線ながら皮肉たっぷり。

主人公の言動があまりに滑稽でくすっと笑えるお話なんです。

笑えるんですが、そこは鴎外。

主人公が実在したかどうかわからない、でも話を進めます、と言いきって始まるんです。

そういう読者をけむに巻くようなうさん臭さが、このお話の魅力をより深めている気がします。

寒山拾得のあらすじ

唐の貞観の頃、台州の知事職に相当する主簿を務めることとなった閭丘胤(りょきゅういん)が、ある日とつぜんあらわれた乞食坊主の豊干(ぶかん)から聞かされた寒山と拾得の話を追うところから始まります。

寒山と拾得はじつは普賢と文殊であると豊干から聞かされた閭は、その寒山と拾得に会うために天台山国清寺を訪れますが、そこで会えたのはみすぼらしい身なりをした二人の小男でした。

閭が自らの官職をうやうやしく述べて拝礼すると、寒山と拾得は顔を見合わせて大声で笑ったかと思うとその場から逃げ去っていくのでした。

寒山拾得の概要

時代背景西暦627~649年
舞台唐の台州
(現在の中国浙江省台州市)
主人公閭丘胤
(りょきゅういん)
天台国清寺の僧豊干
(ぶかん)
天台国清寺の僧道𧄍
(どうぎょう)
寒巌という石窟に住む乞食寒山
(文殊??)
豊干に拾われた捨子拾得
(普賢??)

西暦627年から649年は唐の第2代皇帝「太宗」が治世した時代です。

太宗は隋の末期を鎮めた歴史上まれにみる名君として語られています。

政治がとても安定した穏やかな世の中だったようです。

そのころおとなりの日本は飛鳥時代。

推古天皇から舒明天皇のころ。

ちなみに聖徳太子が亡くなったのは622年。

そうとう古い時代のお話ということですね。

寒山拾得を考察

「寒山拾得」には本編と一対になる「寒山拾得縁起」もあります。

まず「寒山拾得」では閭の行動を通して「道とか宗教に対する3つの態度」が語られます。

1つめは道や宗教を顧みない無頓着な人。

2つめは専念に道や宗教を求める人。

3つめは1と2の中間にある人。

この3つめ。

道や宗教を客観的に認めていながらじぶんでは道や宗教を求めない人。

道や宗教に親密なべつのだれかを盲目的に尊敬する人のことです。

閭がまさに3つめにあたる人物。

鴎外は閭のような人物について本編のなかでこう語っています。

この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念あきらめ、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠せいこくを得ていても、なんにもならぬのである。

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鴎外は豊干や寒山や拾得を通してこの閭をいじめるんですが、そのすがたがあまりに滑稽で笑ってしまいそうになるんです。

しかしよくよく考えてみると、鴎外の狙いは読者のその笑いに隠されているような気がしないでもないです。

一対となる「寒山拾得縁起」には「寒山拾得」が書かれることになった経緯が記されています。

鴎外と子の会話で構成されていて「文殊が寒山で普賢が拾得であるのがわからない」と子に言われてこたえに窮した、という話です。

困り果てた鴎外が「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ」と子に話したところで終わります。

子供はこの話には満足しなかった。大人の読者はおそらくは一層満足しないだろう。子供には、話したあとでいろいろのことを問われて、私はまたやむことを得ずに、いろいろなことを答えたが、それをことごとく書くことは出来ない。最も窮したのは、寒山が文殊で拾得は普賢だと言ったために、文殊だの普賢だののことを問われ、それをどうかこうか答えるとまたその文殊が寒山で、普賢が拾得だというのがわからぬと言われたときである。私はとうとう宮崎虎之助さんのことを話した。宮崎さんはメッシアスだと自分で言っていて、またそのメッシアスを拝みに往く人もあるからである。これは現在にある例で説明したら、幾らかわかりやすかろうと思ったからである。
しかしこの説明は功を奏せなかった。子供には昔の寒山が文殊であったのがわからぬと同じく、今の宮崎さんがメッシアスであるのがわからなかった。私は一つの関をえて、また一つの関に出逢ったように思った。そしてとうとうこう言った。「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ」

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狐につままれたような終わり方ですが、このさいごの一文にどきっとするんです。

鴎外はじぶんが文殊であると言いきっているけどだれもまだ拝みに来ない。

寒山や拾得はどうかというと、じぶんを文殊や普賢だとは言っていない。

けれども閭は豊干の言葉を信じて寒山と拾得をうやうやしく拝もうとする。

鴎外のさいごの一文から考えると、寒山と拾得はのように拝みに来るものがいるから文殊であり普賢であると言いきれるのですが、鴎外とちがって寒山も拾得もじぶんを文殊や普賢とは言っていない。

たぶんですが、寒山も拾得も、文殊とか普賢とかどうでも良いと思っている気がします。

じぶんが何者であるか定まるのって自他ともに同じ考えや認識にたてたときですから、何者であるか定まるのってそうとうレアケースなのかなぁと思います。

ですので、滑稽であるからと閭を笑ってしまったら鴎外の思うつぼではないかと。

文殊とか普賢とか、自他ともに認める何者かであるならともかく、何者でもない者が何者でもない閭を笑うすがたって、うやうやしく拝礼する閭と同じくらい滑稽ですから。

そういう人をくったようなところもひと筋縄ではいかない鴎外の魅力であると思います。

まとめ

というわけで、森鴎外「寒山拾得」の感想と考察でした。

そういう捉え方もあるんだなぁと参考にしてもらえると嬉しいです。

WEB上の青空文庫で無料で読めるので活用しちゃいましょう!

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あきまる

会社員のパパです。 趣味は投資と料理とゲームと書き物。 基本インドアですが秋冬春はジョギング、 夏は海でシュノーケリングを楽しんでます。

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