一
とても暑い夏の日でした。
夕立が通りすぎたある村のあめ屋に、見慣れない女があらわれました。
着物すがたのその女は、美しい黒髪に、花の紋様が飾られた玉かんざしを挿しています。
あめ屋の主人と目が合うと、女は水あめを指さします。
そして器をさしだします。
器を受けとろうとして手がふれて、あめ屋の主人はおどろきました。
女の肌が冷たいのです。
大丈夫ですかい?
具合でもわるいのかい?
そう聞きますが、女は涼しげにうっすらほほ笑んでいます。
器に水あめがすくわれるさまを、うっとりながめているのです。
鼻をくすぐる甘い匂いは、のぞきこんでくる女からただよってきます。
とても綺麗な人だとあめ屋の主人は思いながら、器を置いて、あめの入った壺のフタをしめてふりかえりました。
すると、そこにいたはずの女が、霧が晴れるみたいに店から消えているのです。
あめ屋の主人は目を疑いましたが、お代は台に置かれてあります。
甘い匂いも残っています。
狐にでもたぶらかされたのだろうかといぶかりましたが、それならそれでかまわないと、あめ屋の主人はどうしてかじぶんでもわからず、女に深い親しみを覚えてしまうのでした。
二
それからというもの、夕立が通りすぎた日の夜になると、女があめ屋にあらわれるようになりました。
その日もでした。
いつもなら水あめを指さすはずが、ためらうような、恥じらうようなそぶりなのです。
器もさしだしません。
どうしたんですかい?
今日は水あめじゃないんですかい?
主人が聞くと、女は目を伏せぎみにして反物をさしだします。
からし色の生地に、花と蝶があしらってあります。
その肌触りはしっとりとなめらかです。
女性はやはり恥ずかしげです。
目を伏して主人に水あめを指さし、器をさしだします。
主人は器ごと女性の手をにぎりしめたくなりますが、どうしてかできません。
美しすぎるからかもしれないし、身分のちがいを感じとったからかもしれません。
反物はどう見ても高級品なのです。
それはあめ屋の主人にもよくわかりました。
こんな高価な反物、良いんですかい?
水あめとじゃ、釣り合わねえですよ?
女性はうっすらほほ笑むと、主人の手をとり器をわたします。
そうしていつものように、器に水あめがすくわれるさまを、女はうっとりながめるのです。
甘い匂いもただよってきて、女がどこに住んでいるのかどうしても知りたくて、あめ屋の主人は女のあとを追おうと決めたのでした。
女がふっと消えたあと、いそいで店から外にでると、すでにもう遠くに見えます。
さいわい月明りのある夜でしたが、女の足は意外にはやく、うっかり目をはなすと見失いそうです。
見つからずに隠れながらとなり村まで近づきましたが、さいごのさいごに、月が雲でかげってしまい、暗がりで女が見えなくなるのでした。
あめ屋の主人は肩をおとして、ため息をもらしました。
夢中になって追いかけたから、のどが渇いてからからです。
すると、どこからか赤子の泣き声が聞こえてくる気がしました。
どうやら道のずっと先のほうが、墓地につながっているようです。
こんな夜更けに赤子と墓参りするとは妙な人がいるものだとあめ屋の主人は思いました。
月が雲から顔をだすと、ほどなく赤子の泣き声がやむのでした。
三
それっきり、夕立が通り過ぎても女はあらわれなくなりました。
女が置いていった反物を店に飾ってからというもの、呉服屋でも始めたのかとからかわれることもありましたが、反物をながめるあめ屋の主人はうわのそらです。
もういちどあの人に会いたい
心にそう想うと、きまってあの墓場の景色がよぎるのです。
そんなある日、となり村の長者があめ屋にやって来ました。
あめを入れる器は、いかにも長者らしい意匠が凝らされた壺です。
その壺いっぱいにあめを入れて渡すと、
おぬし、その反物をどうやって手に入れたんじゃ?
そう長者に問われるので、
うちはあめ屋で、あれは売りもんじゃないんですよ
そう答えると、長者はこう言うのでした。
あの一越ちりめんは、わしが贈ったものじゃ、病で死んだむすめにな
とつぜんにやって来てなにを言うか、病で死んだむすめとはどういうことかとあめ屋は腹がたちましたが、反物を愛しげに見つめる長者のまなざしには、嘘いつわりのない悲哀の色が複雑にまじっているのです。
一越ちりめんだかなんだか知らないが、たしかに高価な反物だから、この長者の話すとおりなのだろうと、怒りはみるみるしぼんでしまい、あめ屋の主人は妙にすとんと納得するのでした。
あめ屋の主人はことのてんまつを、長者はむすめの死にぎわを語りました。
そうして二人で墓場に向かうことにしたのです。
墓石にはたしかに長者のむすめの佛名が彫られてありました。
どうしてあめ屋に、しかもとなり村のあめ屋までやって来たのか。
なにか伝え残したことでもあるのではないか。
二人とも墓前で手を合わせて目をつむり考えましたがまるで思いあたりません。
なんら得るところなく徒労感におそわれた帰りしな、二人は赤子の泣き声がどこからか聞こえてくるのに気づきました。
あめ屋はふっと思い出して、
そういえば、むすめさんを見失ったあのときも赤ん坊が泣いてたなぁ
そう呟くと、長者が懐かしむように言いました。
むすめの赤ん坊もな、生まれてすぐ死んでしまった、可哀想にな
どちらから言い出したわけでもなく、二人は赤子の泣き声が聞こえてくるほうへ歩みをすすめました。
竹林を進んで藪をかきわけると寺が見えます。
あめ屋の主人も長者も、村はずれに寺があるのをはじめて知りました。
赤子の泣き声はその寺から聞こえてくるのです。
近づいてのぞいてみると、堂には和尚と赤子がいます。
和尚が赤子をあやすのですが、いっこうに泣き止みません。
泣き止むどころか顔が真っ赤です。
和尚様、わしらもお手伝いしましょう
二人も赤子をあやしてみますが、頑張れば頑張るほどますます泣きます。
途方に暮れたあめ屋はふっと、女があめを買いに来ていたことを思いだしました。
この子にあめを舐めさせてみましょうよ
もしかしたらむすめさんは、この子にあめを与えてたのかもしれねえ
はたして長者があめをとりだすなり、赤子はぴたりと泣き止んで、しあわせそうにあめを舐めるのでした。
和尚が話すには、赤子は捨て子でした。
ちょうど長者のむすめの墓のまえあたりに、ぼろ布にくるまれて置いてあって、和尚が見つけたときは捨てられてから幾日もたっていたはずなのに元気に泣いていたのです。
成仏しなけりゃならんのに、あまりに泣くから放っておけずに、そなたのむすめがこの子をたすけてくれたのだな、心の清い、美しいむすめじゃ
長者が涙をはらはら落とすと、赤子は手足をばたつかせて、うれしそうに笑います。
つられて長者も笑いますが、涙がとまりません。
高い高いすると、きゃっきゃと声をはりあげて笑うのです。
髪が真っ白なその赤子を、長者はわが子のように思うのでした。
それから幾年か過ぎました。
寺は長者からの寄進で子どもに読み書きを教えるようになりました。
あめ屋の主人は寺にくる子どもらにあめをふるまいました。
その評判は、となりのとなりのとなり村まで広まって、日を追うごとに人が集まるようになっていったのです。
赤子はその寺で健やかに成長して立派な僧になりました。
僧は「頭白上人」と呼ばれて人々から慕われました。
堂の傍らには、色あせ古びた一越ちりめんの反物が掛けてありました。
疑問に思う子どもらに問われると、頭白上人はおだやかに微笑むのでした。
たしかに古びて汚れているかもしれない
でもね、私にはこのうえなく美しく見えるのだよ
終